ご葬儀に行って参りました。
国宝修理装潢師連盟 加盟修理工房 株式会社半田九清堂 半田正博氏がお亡くなりになりました。
今日社葬に伺って参りました。
↑ この読みたく無くなるような団体は 東京国利値博物館や京都国立博物館等々で、国宝などの日本美術品の修理修復を
専門とする技術者集団です。
装潢師(そうこうし)というのは、経師とか表具師とかと同じ意味で、日本絵画の表装や額装をする職人さんです。
現代では、昔からの美術品をどうやって遺して行くのか、は重要な課題で、その修理修復の技術は日本は世界屈指なのです。
私は、以前勤めていた和紙問屋で、半田九清堂さんの担当営業としていわば「お出入り業者」として紙の納品に通っておりました。
知識ゼロの私が、呑気に言いつけられた通りの紙を持って半田さんの元へ参上すると、気さくなお人柄の半田さんは
その修理の様子を、勉強のため見せて下さいました。
工房は本当にいつも驚愕することばかりで、こんな精緻な作業を延々とするものなのか、と畏れると同時に
国宝級の美術品が並び、その断片やらなにやらを繋ぎ合わせている、現場はまさに静かなる戦場であり
美術と和紙が好きな私にはキラキラ輝ける世界でしたが、
その当時から修理修復は化学系の大学院を出ていないと就職出来ない高度なエリート専門職で、
文系の私はただただ半田さんのお言い付けを守っているような有様でした。
半田さんに素人にもわかる程度のことを教えて頂いたこと、和紙文化研究会で教えを乞うたこと
その出会いが無ければ、私は和紙の仕事はできていなかったと思います。
そんな仕事に就けてくれた当時の会社にも、いまは感謝しています。
当時はぶーぶー文句ばっかり垂れていましたが、
今になって思うに、紙の職人の仕事のこと、和紙に対する、愛情と敬意に溢れた経営者でした(まだ健在で現役です念のため)
この業界で会社を経営維持するには、ご苦労が多かったと思うのですが、いまやっとそんなことがわかる始末です。
話が飛びましたが、
お焼香の時に遺影を拝見しました。とても楽しそうに微笑んでおられて、思わず涙が出ました。
半田九清堂を退職された後、東北芸術工科大学の保存学科で教鞭をとっていらっしゃいました。
教え子とおぼしき方々もたくさん参列されていました。
日本と中国との間での、修理保存に関する技術交流の先駆となられたのも半田さんでした。
一年のうちほとんどを中国に行っておられた頃も覚えております。
私にも、こんなにいろいろ教えよう、引っ張り上げようとして下さった半田さんの期待に応えられなかった・・・
ここ数年は、私はそんな申し訳なさが積もっていました。申し訳ありません、と遺影にお詫びをしてきました。
人生こんなことばっかりです、ほんと。
ご冥福を心よりお祈り申しあげます。